Introduction

ボイスが
投げかけた
いに、
代を越えて
呼応する
家たち。

自身の作品によって、
作家たちは思考を交わす。

ヨーゼフ・ボイスの多様な活動は、芸術の概念そのものを根底から問い直すものでした。社会と芸術に境界はなく、むしろ相関であることを明らかにしたヨーゼフ・ボイスと、6名の現代作家の作品によって、本展覧会は構成されます。かつてボイスが社会に対して投じた問いは、作家たちにどう届いたのでしょう。言葉ではなく作品によって交わされる彼らの「静かな対話」は、展示空間内で共振するだけでなく、社会にまで響く気高さに満ちています。

エントランス

Joseph Beuys

作品〈ヴィトリーヌ〉という、
ボイスからの問い。

〈ヴィトリーヌ〉とは、ガラスケースに遺物を収める形式を指します。ヨーゼフ・ボイスは、パフォーマンスで用いた物品やメッセージなどをその中に並べていました。彼が前提としたのは、博物館におけるアウシュヴィッツに関わる展示です。靴、衣服といった日用品、あるいは髪の毛や骨のような身体が、恒久的な展示物となってしまう。ヴィトリーヌは、鑑賞者に対して生死の境界を意識させると同時に、価値の転換を示す装置でもあったのです。あるいは、ボイス自身の戦争に対するトラウマを、可視化しながら封印したのかもしれません。ヴィトリーヌは、戦争が絶えない限り、強いメッセージを持ち続ける作品です。その皮肉な構造によって、虐殺の続く現代を照射しています。今回の展示作品は、出品作家でもある若江漢字が、自らのボイス・コレクションをヴィトリーヌに収めたものです。
ヨーゼフ・ボイス

1921年ドイツ・クレーフェルト生まれ。戦後、作品を通じて、全体主義への批判や社会に対する強い問題提起を行う。先住民を象徴するコヨーテと暮らすパフォーマンス《私はアメリカが好き、アメリカも私が好き》を行い、ドイツ・カッセルでは石柱と共に7000本の樫の木を植えた。政治や経済の分野においても、社会構造の変革に関わる試みはすべて芸術であり、そのために「すべての人間は芸術家である」と説いた。1984年に来日し、出品作家の若江漢字、畠山直哉らと交流している。1986年没。
Photo by Naoya Hatakeyama

6名の
現代 家たちは、
ボイスから かを
受け継いだのか?

6 Artists

作家たちは、本展覧会に出品するために改めてヨーゼフ・ボイスと対峙することになりました。それぞれの作品がボイスへの応答であるならば、では、そもそも「ボイスからの問い」とは何だったのでしょう?静かな対話である展覧会において耳を澄ますため、各作家に下記2つの「問い」を尋ねました。返ってきた言葉は、それぞれの作品に対するある種の解説であると同時に、各作家のアティテュードを示しています。

  • 1

    ヨーゼフボイスから、
    何を問われていますか?

  • 2

    現代社会に対して、
    何を問いますか?

Artist01

1

ヨーゼフボイスから、
何を問われていますか?

19世紀に始まる近代美術における、芸術至上主義のイデオロギーに誰もがどっぷりと浸かっている。それら感覚的芸術には、好き嫌い以上のものはなく、アートのためのアートでしかない。私が娯楽アートと呼ぶその界隈において、人気があるとはつまり先駆的役割を担っていない証拠であり、本来、屈辱的なこと。なぜなら、愛玩物でしかないのだから。マルセル・デュシャンは、脱近代美術を試みた。当然、ヨーゼフ・ボイスもその流れにいる。脱近代美術こそが現代美術であり、そこは壮大な実験場なんだ。ボイスは、ダダもデュシャンもやらなかった、政治社会そのものをインフルエンスして変革しようと、芸術の概念を拡張させた。では、本当の芸術とは何か。それは、人生のための芸術。つまり、未来のための教科書たり得るものでなければならない。

2

現代社会に対して、
何を問いますか?

私は、1970年代にボイスの作品を始め、さまざまな芸術運動を見てきた。50年経って、一体どれほどのものものが残っているだろう。ほとんどすべてがゴミになった。100年の射程で物事を考えていかなくてはならない。本当の意味での現代美術と言ってもなかなか伝わらないから、社会的普遍芸術という言葉に置き換えた。民主主義は果たして、普遍的な価値観だろうか?環境は、等しく人類に関わる問題だろう。そう考えていくと、哲学的であり、宗教的であり、倫理的な、社会にとって普遍的な芸術が、一体どれほどあるだろう。

のための
術を
やらなければ
ならない。
若江漢字

美術作家。1944年横須賀市生まれ。1975年展覧会を機に西ドイツ、オランダに滞在。その間、アムステルダム市立美術館アトリエ、ヴォルフスブルク市立美術館アトリエの招待作家となる。1982-83年文化庁芸術家在外研修員としてヴッパータール総合制大学に学び、生前のヨーゼフ・ボイスから直接石膏で足型を取る。1994年、ボイスの作品展示室をもつ「カスヤの森現代美術館」を開設。国内外の個展、グループ展は数多く。主要な展覧会は1973年第12回及び1989年第20回サンパウロ・ビエンナーレ、1989年ヴッパータール市美術館(西ドイツ、当時)など。著作としては共著『ヨーゼフ・ボイスの足型』(みすず書房)

Artist02

1

ヨーゼフボイスから、
何を問われていますか?

彼の1984年の来日時に数日間ぴったりとくっついて、その一挙手一投足を観察していたせいか、いまでも彼のことや作品を思い出すたびに、「君はわたしを見たんだよね?」と、あのしわがれ声で訊かれているような気がします。僕にとって大事なことだったのは、彼の発する学者のような言葉の内容以上に、彼が生きて動き回って、ドローイングをし彫刻を作り、なおかつ言葉を発しているという、動物的な事実のほうだったのです。人間の伝統を存続させようと、真剣に努力している「いきもの」としてのアーティストがいると、驚きの目で彼のことを見つめていたあの時間を、忘れられるものではありません。彼はべつにパワフルになれとか高いところに登れと言っていた訳ではない。ただ「アーティストになれ」と、「いまいる場所でアーティストになれ」と、だれかれかまわず説いていたのです。簡単で難しい注文です。

2

現代社会に対して、
何を問いますか?

問いたいことは特にありませんが、共同体としての「社会」は、やはり「人間」が維持するものであったという事実が、ここ近年あらわになってきているような気がしています。「自由で平等な個人」をあまりに強調してきたせいか、かつての「人間」のステイタスは見失われ、いま「社会」は、ただの「群れ」と区別が付かないほど、影の薄いものになっているのではないでしょうか。いまの人々の関心は、社会の維持というよりも、群れの存続にあるのだと言えます。あるかないか分からないような社会に対して、いま何を問うことができるのか?そう考えると心細くて、「特にない」という言葉が浮かんできてしまうのです。「人間」と「個人」は、同じようで違う概念。もしボイスが40年後のいまに生きていたら、「アーティストになれ」ではなくて「人間になれ」と語るのかもしれません。

はわたしを
たんだよね?
畠山直哉

写真家。1958年岩手県陸前高田市生まれ。1984年、筑波大学大学院芸術研究科修士課程修了後に西武セゾングループのインハウス広告代理店であった(株)SPNに拾われ、そこで映像制作業務等にたずさわり始めた頃、ヨーゼフ・ボイス来日における記録映像制作のディレクターを命じられる。成果は60分のヴィデオ作品《Joseph Beuys in Japan》にまとめられ、その後世界各地で公開された。主な近年の展覧会に「まっぷたつの風景」(2017 せんだいメディアテーク)。「Naoya Hatakeyama – Excavating the Future City」(2018 ミネアポリス美術館)などがある。

Artist03

1

ヨーゼフボイスから、
何を問われていますか?

態度こそが作品であり芸術であることを、明確に、それこそ態度で示した人だと思う。あまり堅牢性のない、変化しやすい素材を用いていたことも、そこに一貫した態度があったから。芸術における拠り所、あるいは根拠と言ってもいい、社会の中でいかに運動体となり得るか、そう投げ掛ける態度。さらに、それは作り手にとってだけではなく、等しく観客に向けられた問い掛けでもある。受け身の鑑賞ではなく、主体性を持って作品を観察することが求められる。だからこそ、変化しやすい素材を使ったのかもしれない。民主化の意義と、資本主義の風景の果てに、何が起きるのか。そこにボイスの警笛がある。そこで問われているのは、作ることそのものなのだと思う。

2

現代社会に対して、
何を問いますか?

ボイスのパラフレーズでしかないけれど、個人個人が自分の声をきちんと見つけられるのか?それに尽きると思う。ボイスが生きた、戦後の革命を求める時代において、彼の挑発は有効だった。けれど、それだけでは社会は変わらないことは明白で、古いものを壊して新しいものを立ち上げていく行為自体が、断絶と憎悪の連鎖を生んでしまう。僕らはもう、それだけでは解決しないと知っている。では、どうする?それが僕の問いかもしれない。

われているのは、
ることそのもの
だろう。
磯谷博史

1978年東京都生まれ。東京藝術大学で建築を専攻後、同大学大学院およびロンドン大学ゴールドスミスカレッジで美術を学ぶ。写真、彫刻、ドローイングなどの媒体を通じて、知覚の複数性と時間の多様な性質を再考している。近年の展覧会に「動詞を見つける」(小海町高原美���館、長野、2022年)、「Constellations: Photographs in Dialogue」(サンフランシスコ近代美術館、サンフランシスコ、2021年)、「L’image et son double」(ポンピドゥー・センター、パリ、2021年)、などがある。

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らは緩やかな
絶滅の途 にいる。
加茂 昂

1982年生まれ。東京都出身。東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業後(2008)、東京芸術大学大学院絵画研究科修了(2010)。3.11後、「絵画」と「生き延びる」ことを同義に捉え、心象と事象を織り交ぜながら「私」と「社会」が相対的に立ち現われるような絵画作品を制作する。近年の主な展覧会に、2023年に化石としての風/復興としての土/祈りとしての風土(PARCEL)東京、惑星としての土/復興としての土(NANAWATA)埼玉、境界線を吹き抜ける風(LOKO gallery)東京。

1

ヨーゼフボイスから、
何を問われていますか?

お前はどんな当事者性を生きているんだ?僕の頭の片隅に常に存在するこの問いは、かつてボイスが社会に投げかけた問いなのかもしれない。今、ボイスからの問いを考えた時、もっとも問われているのは、お前はどんな経済圏の中で生きているのか?ということだと思う。今、ガザで起きていることを考えれば分かりやすい。絶対に加害者側に組み込まれたくないと思っていても、気を抜くとそっち側に立ってしまう。私の作品は一体どんな金によって買われているのだろう?全部を確かめている訳ではない。グローバル経済の当事者としての意識を今、問われているのだと思う。

2

現代社会に対して、
何を問いますか?

ホモ・サピエンスという種は、緩やかに絶滅に向かっているんだと思う。水から茹でられたカエルが、熱くなっていることに気づかずに死んでしまう例えのように、僕らは遠からず、緩やかに絶滅する途中である、という危機感を持っている。種としては生き伸びたとしても、このままだと今の文化や文明はどこかで断絶してまうだろう。メソポタミア文明が途切れたように、エジプト文明が絶えたように。僕らは今緩やかな絶滅の途中にいて、でもやっぱり絶滅はしたくない。緩やかな絶滅を生き延びるための表現をしていきたいと思っています。

Artist05

会的決定と
人の感
で。

Artist05

AKI INOMATA

1983年生まれ。2008年東京藝術大学大学院 先端芸術表現専攻 修了。東京在住。人間以外の生きものや自然との関わりから生まれるもの、あるいはその関係性を提示している。ヤドカリが世界各地の都市をかたどった透明な「やど」へと引っ越しを続ける「やどかりに『やど』をわたしてみる」、「犬の毛を私がまとい、私の髪を犬がまとう」など、生きものと共に制作した作品を多く発表。近年の主な展覧会に、2022-2023年「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」(森美術館、東京)、2020-2021年「Broken Nature」(ニューヨーク近代美術館:MoMA)など。

1

ヨーゼフボイスから、
何を問われていますか?

私がボイスの芸術家としてのあり方で興味深いと思っているのは、社会活動を芸術と見做してさまざまなプロジェクトを実践したことと、ボイス独自の彫刻理論やマテリアルへの感性によって作品を発表してきたこと、その両義性にあると思っています。豊かな自然のなかで育まれたボイスの感性は、さまざまな生き物への見立てとして彼の生々しい表現に登場してきます。蜜蝋など温度に可塑性のあるマテリアルに着目した点などは、私の仕事にも通じると思っています。いっぽうで、樫の木の植樹プロジェクトや政党の結成にも関わっていました。政治は社会におけるYES/NOの決定機構と考えることができますが、芸術家の感性は必ずしもそれに依拠しない曖昧さやオルタナティブな可能性にひらかれた働きを持っていると思います。ですから社会的決定と個人の感性との間には、相互に矛盾したり葛藤を含み持っているはずなのです。ボイスの社会彫刻、その実践者はそうした葛藤を余儀なくされるのであり、翻ってそれは現代の私たちが抱える難題に向き合うことを問うていると思います。

2

現代社会に対して、
何を問いますか?

生き物や自然との新しい関わりを模索することをとおして、人間のあり方を捉えなおしたいと考えています。しかし、生きた世界の複雑さを前にして、予め明確な問いを設定することは困難なだけでなく、むしろ障壁にすらなることがあります。これは作家としてのこれまでの経験からも言えることです。こうあるべきだ、という考えから出発するのではなく、じっくりと生きた世界に介在しながら自然の成り立ちを学ぶ姿勢が必要だと思っています。私が社会に提示するのは、その過程としての作品です。私はデビューした当初から「借景」という人間の自然への関わり方に着目してきました。古くは中国の造園法、現代の芸術においても唐十郎のテント演劇やアートニー・ゴームリーの彫刻などに見出すことができます。私はこの「借景」という概念を、現代に向けてアップデートしたいと考えています。それは近代文明を経た人間社会が環境問題に直面するなど、自然観の再考を迫られている現実にたいする私なりのアプローチです。

Artist06

1

ヨーゼフボイスから、
何を問われていますか?

自分が一芸術家として、一市民として、毎日、何を思考しているのか?問われているのだと思います。私の作品が扱っているモチーフも「日常」で、車窓風景だったり工事現場のワンシーンだったり、芸術を遠いものとして捉えるのではなく、身近な風景の中から見出せると考えて制作してきました。その点から言えば、観察や思考そのものが芸術であるというボイスの考え方には強くシナジーを感じます。自分自身の日々の暮らしにおいても同じことが言えます。生計を立てるための仕事をする自分と芸術活動をしている自分。分離しているような感覚があったけれど、日常すべてが芸術として、シームレスにつなげていくことがこれからの目標だと思っています。芸術が遠いものだと感じている人にとって、私の作品が、目の前にある風景の見え方が変わったり思考が動き出したりするトリガーになったら良いなと思うんです。

2

現代社会に対して、
何を問いますか?

出展する作品〈Day Tripper〉シリーズは日常の車窓風景をもう一度、見るきっかけを作る、みたいなことがテーマなんですが、直接は言っていないけれど、無関心への気づき、無関心だったことに目を向ける、というメッセージがあると思っています。東京にいれば、社会や政治に対して無関心でも何となく暮らしていけます。朝のニュースで流れるのは、大リーガーの活躍と美味しいご飯の話ばかり。でも、今、戦争が起きている。そのギャップに危機感を覚えます。「じゃあ、デモに行って政治活動をしよう」といきなり言われても、同世代にとってはリアリティが持ちづらいのかもしれない。なので、車窓風景のような、普段は意識していなかったことをもう一度見ることで、街の中のあらゆる瞬間、現実にきちんと目を向けられるようになったらいいなと思うんです。そのすごく小さな第一歩こそが、自分の作品が問いかける、ささやかな布石みたいなものだと思っています。

私の が、
考の動かす
トリガーに
なればいい。
武田萌花

1997年東京都出身。2024年東京藝術大学大学院 美術研究科先端芸術表現専攻 修士課程修了。2022年ドイツ・ミュンヘン美術アカデミーに留学。「車窓風景」や「工事現場」など都市の日常的な風景から着想を得て、情報やイメージで氾濫した現代におけるリアリティとは何かを問うインスタレーション作品を発表している。主な展示・受賞歴に「藝大アートプラザ・アートアワード2024」デジタルアート部門「JR東日本賞」受賞(2024)、NTTインターコミュニケーション・センター【ICC】「エマージェンシーズ!045」(ICC,2023)など。

若江漢字 畠山直哉 磯谷博史 加茂 昴 AKI INOMATA 武田萌花 若江漢字 畠山直哉 磯谷博史 加茂 昴 AKI INOMATA 武田萌花

ヨーゼフ・ボイス
ダイアローグ展

会期
2024717日(水)- 924日(火)
*819日(月)はGYREの休館日となります
会場
GYRE GALLERY
東京都渋谷区神宮前5-10-1 GYRE 3F
お問い合わせ
0570-05-6990 ナビダイヤル(11:00-18:00)
主催
ジャイルギャラリー
スクールデレック芸術社会学研究所
企画
飯田高誉
(スクールデレック芸術社会学研究所所長)
PRディレクション
HiRAO INC
協力
カスヤの森現代美術館
展覧会出展作家
ヨーゼフ・ボイス / 若江漢字 / 畠山直哉 / 磯谷博史 / 加茂昂 / AKI INOMATA / 武田萌花
PRESS CONTACT
HiRAO INC
東京都渋谷区神宮前1-11-11 #608
T/03.5771.8808|F/03.5410.8858
担当:御船、鈴木
アトリウム

Interview for this
exhibition